高分子の概念が確立される以前、化学分野においては「分子量5000以上の分子は存在しない」という考え方が主流であった。
この考えは、後に「高分子説」として提唱されることになる巨大分子の実在を認めない学界の姿勢を象徴するものであり、当時の科学者たちがどのように高分子に向き合い、どのような視点から「高分子説」を拒んでいたのかを理解するための鍵となる。
本稿では、20世紀初頭における高分子研究の時代背景と研究者たちの考え方について、詳細に解説する。
高分子説が登場する以前の科学的常識と学界の主流
分子量に対する限界的な認識
当時、分子量が5000以上の分子は存在しないとする固定観念が強く根付いていた。この根拠の1つとして、既存の分析手法で測定された数万~数十万という分子量が、化学的に信じがたいとされたことが挙げられる。
したがって、測定値が数万以上に達した場合でも、これは単一分子の分子量としては捉えられず、複数の小分子が二次的な力で会合している結果だと解釈されたのである。この会合説は、化学者GreenやHarriesが提案したモデルを支持する重要な要素となり、後述するような「副原子価」に基づいた結合概念がその裏付けとされた。
錯体化学の影響と副原子価の概念の隆盛
当時の化学界では錯体化学が急速に発展しており、特に「副原子価」と呼ばれる非共有結合が重視されていた。副原子価は、主に金属錯体の形成を説明するための概念であり、複数の分子が分子間相互作用によって結びつくメカニズムを説明するために用いられた。
このため、測定された高い分子量を示す分子に対しても、それらは「副原子価」による結合によって会合しているものと考えられ、巨大な単一分子の存在を信じることは困難とされたのである。
高分子の会合モデルとその根拠
高分子における末端基の不在
当時の科学者たちが高分子を会合体とみなしたもう一つの理由として、高分子の末端基が検出できなかったことが挙げられる。通常、分子構造が明確に定義されていれば、分子の末端に特有の化学基が観察されるはずである。しかし、高分子として提案された分子では末端基が確認できないか、もしくは末端基が極めて検出しにくいことが問題視された。
現代でも、分子量が数十万以上の高分子では、高分解能NMRを用いても末端基の検出が容易ではないことがある。この現象に直面した当時の研究者たちは、高分子を線状ではなく、環状構造とする見解を導入し、末端のない構造を説明しようとしたのである。
GreenとHarriesの会合モデル
高分子の分子構造に関する知見が限られていたため、当時の研究者たちは単一分子が末端のない「環状構造」を持ち、複数の分子が分子間相互作用によって集合体(会合体)を形成しているとする会合モデルを提唱した。
GreenやHarriesらの研究は、このモデルを支持する形で発展し、彼らは特に錯体化学で用いられる副原子価の概念を援用して説明した。彼らにとって、異常に大きな分子量を示す分子は単なる巨大分子ではなく、化学的に相互作用した「会合体」として理解されるべきものだったのである。
高分子説とその後の展開
高分子説への疑問と確立
高分子の概念が広く受け入れられるまでには、さらに多くの証拠が必要であった。1920年代に入り、ヘルマン・シュタウディンガーが高分子説を提唱したが、当初は多くの科学者から反発を受けた。
シュタウディンガーは、巨大分子が単一の共有結合で結びついた構造であると主張し、従来の会合体説に代わる新たな「高分子説」を唱えたが、錯体化学に強い影響を受けていた化学者たちはこれを受け入れ難かったのである。しかし、後の実験技術の進展によって分子量の直接的な測定が可能となり、シュタウディンガーの提唱した高分子説が次第に確固たる理論へと確立されていった。
練習問題
問題1: 当時の化学者たちが「分子量5000以上の分子は存在しない」と考えた理由を述べよ。
解答と解説
当時は分子量5000以上の分子は信じがたいとされ、測定された大きな分子量は複数分子が副原子価で結びついた会合体と解釈されていた。
問題2: 「副原子価」とは何か、また当時の高分子研究でどのように利用されたかを説明せよ。
解答と解説
副原子価とは、錯体化学で用いられる分子間の非共有結合を指し、高分子が副原子価による会合体として理解される根拠とされた。
問題3: 高分子の末端基が検出されないことが、会合説を支持する根拠とされた理由を述べよ。
解答と解説
高分子の末端基が観察されないことで、当時の研究者は分子が末端のない環状構造を持ち、会合体であると考えたためである。
高分子に対する理解は、時代の学問的背景と技術の限界によって左右されてきたが、シュタウディンガーによる高分子説の提唱が、その後の化学の発展に大きな転機をもたらしたと言える。