
はじめに:高分子溶液の熱力学的理解の必要性
高分子が溶媒中に分散したとき、低分子系とは異なる特有の熱力学的挙動を示す。これを理解するために、1942年にFloryおよびHugginsによって提案された「格子モデル(Flory-Huggins model)」は、現在でも高分子物理化学の基本理論として広く用いられている。
本記事では、図表と数式に基づき、この格子モデルの理論構造を詳細に解説し、混合エントロピーおよびエンタルピーの導出過程を丁寧に展開する。
Flory-Huggins格子モデルの基本構成
モデルの前提と仮定
混合系におけるエントロピーの基礎
溶液とは、低分子であれ高分子であれ、2種の物質が混ざり合った系を指す。
特に低分子AとBの混合においては、A-B間に特異な相互作用がなければエントロピーの寄与により混合が自然に進むとされる。
しかし一方で、AまたはBが高分子になると、配置に制約が生じ、単純な乱雑化が妨げられる。
高分子の構造上の制限がエントロピーの増加を抑制し、混合の自発性を低下させるのである。
格子モデルの導入
Floryは、1942年に高分子を構成する繰り返し単位(セグメント)を1つの格子点に割り当てるというモデルを導入した。
各セグメントは低分子溶媒と同じ体積を占めると仮定し、これにより混合系の配置数Wを算出する。
Ns個の溶媒分子とNp本の高分子(1本あたりn個のセグメントからなる)がN = Ns + nNp個の格子点に占有される。
混合エントロピーΔSₘᵢₓの導出
ボルツマンの関係式からの展開
混合のエントロピーSは、ボルツマンの関係式S = k ln Wに基づいて計算される。これより、混合によるエントロピー変化ΔSₘᵢₓは以下のように表される
ΔSₘᵢₓ = −k(Nₛln(Nₛ/N) + Nₚln(nNₚ/N))
= −k(Nₛlnφₛ + Nₚlnφₚ)
ここでφₛ = Nₛ/N、φₚ = nNₚ/Nはそれぞれ溶媒と高分子の体積分率を表す。
エンタルピー変化と相互作用エネルギー
接触エネルギーとその平均化
接触エネルギーの再配置による変化
混合が進行すると、新たな接触(溶媒-セグメント間)が生成される。図3.1の模式図のように、2個の溶媒分子(○)と2個の高分子セグメント(●)が混合することで、接触(○…●)が生成される。
この際の接触エネルギー変化εは以下で与えられる
ε = εₛₚ − (εₛₛ + εₚₚ)/2
ここでεₛₛ、εₚₚ、εₛₚはそれぞれ溶媒-溶媒、セグメント-セグメント、溶媒-セグメント間の接触エネルギーである。
エンタルピー変化ΔHₘᵢₓの数式表現
混合による接触数とエネルギー変化
高分子1本あたりn個の接触を生成すると仮定し、混合により(z−2)nφₚ個の新たな接触が生じる。これにより混合エンタルピーΔHₘᵢₓは次のように表される
ΔHₘᵢₓ = ε(z−2)nNₚφₛ = kTzχNₛφₚ
ここでχはFlory-Hugginsの相互作用パラメーターであり、エネルギー変化の無次元化により導入される。
混合自由エネルギーの導出とその意義
ΔGₘᵢₓの表現式と意味
混合の自由エネルギー変化は、以下のようにエンタルピーとエントロピーの和として記述される
−ΔGₘᵢₓ = ΔHₘᵢₓ − TΔSₘᵢₓ
= RT(Nₛln(1−φₚ) + Nₚlnφₚ + χNₛφₚ)
この式は、F-Hモデルが定量的に予測可能な成果をもたらすことを意味し、混合の熱力学的安定性や相分離条件の評価にも利用される。
平均場近似とその限界
仮定の背後にある物理的解釈
セグメント結合の影響の無視
本モデルでは、高分子の各セグメントが連結していることによる局所的配置制限を無視している。代わりに、各セグメントは全体系に対して平均化された場を受けると仮定する。
このような仮定を平均場近似(mean field approximation)と呼び、統計力学的モデルの一つの代表例とされる。
仮定の正当性と適用範囲
この平均場近似に基づく理論は、高分子希薄溶液における実測物性、たとえば蒸気圧や活量係数などを一定の精度で再現する。
仮定は大胆であるが、その割に実験的事実をよく説明しており、高分子物理における重要な成功例の一つとされている。
数式まとめ
以下に、Flory-Hugginsの格子モデルに基づく数式の変形過程を簡潔に示す。
1本の高分子の配置方法数
高分子鎖の第 i+1 本目の配置方法数

ここで、

全高分子の配置方法数(重複を除く)

エントロピーと配置数の関係(Boltzmannの関係式)

混合によるエントロピー変化

最終的な混合エントロピー変化の式

ただし、

以上が、数式の変形過程の簡潔なまとめである。
おわりに:Flory-Hugginsモデルの意義と応用
Flory-Hugginsの格子モデルは、混合エントロピーおよびエンタルピーの定量的な理解を可能にするのみならず、相分離挙動や溶解性予測においても広範に応用されている。
単なる理論モデルに留まらず、高分子設計や材料工学への展開も期待されており、今後も進化と深化が求められる重要な理論体系である。
